8月22日

戦下の食卓

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終戦から73年。戦争を体験した人は高齢化し、私たちが実体験にふれる機会は年々減っています。そんな中、今回は子どもや女性たちにとっての戦争に注目。多くの人にとって、空襲や焼い弾と並んで、日常的に直面していたのは「飢え」への恐怖でした。壮絶な食糧難の中、人々はどんな暮らしをしていたのでしょうか。戦時中の食生活と聞くと「サツマイモのツルを食べていた」「白いお米はほとんど食べられなかった」など「何となく知っている」と思う人も多いかもしれません。しかし、それらが実際にどのように調理され、どんな料理だったのか、そしてどんな味だったのかについては、残されている記録も限られ、具体的に知る機会は多くありません。
当時を知る人たちの証言や記録を元に、当時の食生活を再現。さらに、いま注目の中学生芸人・レイラちゃんが、「ばぁば」の愛称でおなじみの料理研究家・鈴木登紀子さん(93歳)などに取材。身近な「食」を通じて、戦争について考えました。

なぜ食料難だったの?

米の配給が始まったのは昭和16年からですが、食料不足が本格化したのは昭和18年頃からです。男性が戦地に駆り出されるなど農業の担い手が減り、農機具や肥料などの資材も不足し、生産力が低下しました。昭和20年に終戦を迎えても食糧事情はよくなるどころか、悪くなっていきました。自然災害による凶作や、大陸からの引揚などで人口が急増したことなどが原因です。食糧事情が回復するまで約10年かかったと言われています。

年表

戦中戦後の「食」を再現すると・・・

戦況の悪化とともに食料事情が厳しくなると、ふだんは捨てられていたものを料理に使うことが推奨されるようになりました。当時の婦人向け雑誌には、かぼちゃの葉や茎、お茶を入れたあとの茶殻をつかったつくだ煮、卵の殻のふりかけなどが紹介されています。栄養価を調べたところ、かぼちゃの葉・茎、茶殻はβカロテンが含まれ、卵の殻はカルシウムが豊富に含まれていました。実際に食べた人によると、できれば2度と食べたくない味だったといいます。

かぼちゃの葉と茎の料理

母の工夫が詰まった戦時中の味

池田レイラちゃんが訪ねたのは、ばぁばこと料理研究家の鈴木登紀子さん(93歳)。戦争中、母が作ってくれた料理を紹介。「大根飯」は、貴重だった米をかさ増しするために大根といっしょに炊いたもの。「野菜のもみづけ」は、火を使わずに塩だけで作れる料理。厳しい食料事情の中でも、家族においしいものを食べさせたいといろいろな工夫をしてくれたという、ばぁばのお母さんの思い出を伺いました。

紛争によって食料不足に陥る世界の国々

いま中東やアフリカなどでは紛争によって多くの人が食料不足に陥っています。7年に及ぶ内戦が続くシリアは、もともと豊かな農業国で食に困ることはありませんでした。しかし現在は人口のおよそ4割、650万人が食料不安を抱えています。現地の方に話を聞くと、ガソリンなどの燃料が不足し農業の生産力や輸送力が低下。物価は紛争前とくらべておよそ10倍高騰しており、食べ物を入手するのが難しい状況です。

紛争で食料不足、今も

専門家ゲスト:安原美帆さん(食文化研究家)、佐藤秀美さん(栄養士)
ゲスト:芳村真理さん、志尊淳さん、池田レイラさん(完熟フレッシュ)
リポーター:魚住優アナウンサー