2015年08月01日放送放送内容まるわかり!

戦後70年 きょう玉音放送原盤公開

終戦の日、昭和天皇がラジオ放送で日本の降伏を伝えた、いわゆる「玉音放送」。 その音声を記録した原盤が8月1日に初めて公開されることになりました。 「戦後70年の機会に、多くの方に聞いてほしい」という思いから宮内庁が公開した玉音放送。 番組では、4分30秒あまりの「玉音放送」を、わかりやすい解説とともに、全部放送します。 いまなぜ「玉音放送」?戦争の記憶をどう受け継げばいいの?一緒に深読みしていきましょう!

今週の出演者

専門家

田原 総一朗さん(ジャーナリスト)
古川 隆久さん(日本大学 文理学部 教授)
古市 憲寿さん(社会学者)
安田 菜津紀さん(フォトジャーナリスト)
柳澤 秀夫(NHK 解説委員)

 

ゲスト

「Rの法則」レギュラー
石神 澪さん
小松 直樹さん
野田 美桜さん
山内 芹那さん
和田 崇太郎さん


※玉音放送の内容についてはご出演いただいた古川隆久さん監修のもと
番組スタッフが現代のことばに直したものを記載しています。


小野 アナウンサー
幅広い世代で、日本の歴史を決めた玉音放送について考えます。
10代を代表していただきますのは、Eテレで放送中の「Rの法則」にご出演中の皆さん。
そして、20代はフォトジャーナリストの安田菜津紀さんにお願いしました。
30代は、社会学者、古市さん。そして、40代は何を隠そう、私です(笑)。
50代は、歴史の先生、古川先生。そして、60代は、「あさイチ」でおなじみの柳澤解説委員。
そこから上はこの方に代表していただきます。81歳、田原総一朗さんです。
よろしくお願いします。
Rの皆さんは、玉音放送って知ってました?

石神 さん
知らないです。

小松 さん
知らなかったですね。

山内 さん
知らなかった。

野田 さん
知らないです。授業で名前だけは聞いたことあるんですけど、具体的には。

和田 さん
内容はね。

石神 さん
むしろ今回初めて聞いて、まず何だろうから入って。全然知らないです、何か。

小野 アナウンサー
実際、「なんて読むのでしょうか」っていう問い合わせも来ました。「ぎょくおん」と読みます。
では、いったいそれはどういうものなのか、なぜいま公開されたのか、私たち、どう聞けばよいのか、そこからひもといてまいります。中山アナウンサーです。


プレゼンテーション①

中山 アナウンサー
公開された玉音盤の写真、こちら。こうしたレコード盤だったんですよね。
これが宮内庁の倉庫に保管されていて、なぜいま公開となったのか。
その点は、宮内庁の担当の、社会部の亀山拓也記者に聞いてきました。

社会部 宮内庁担当 亀山記者
戦後70年にあたり、宮内庁が先の大戦の関係資料の公開を検討しました。
その過程で両陛下と秋篠宮さまから、玉音盤の再生も検討してはどうかという考えが示されたことがきっかけになったということです。
宮内庁は専門家に依頼して原盤に針を落としたところ、70年ぶりに昭和天皇の声がよみがえりました。これは宮内庁の幹部も驚いたということです。
両陛下はお住まいの御所でいすに座り、終始姿勢を正して静かに聴き入られたということです。
今回はさらに皇居の防空壕についても、映像や写真を撮影し、きょう公開しました。
宮内庁では、「玉音盤も防空壕も、先の大戦の関係で宮内庁が管理するものの双璧であり、この機会に、広く国民に知ってもらいたい」と話しています。
また、「両陛下も、国民に知っていただくことに意義があるというお気持ちだと思う」とも話しています。

中山 アナウンサー
その玉音放送、「玉音」って「天皇陛下の肉声」っていう意味なんです。
そこに、何が実際に述べられていて、どんな意図が込められているのか。
深読みではこうした模型で皆さんに分かりやすく説明していきます。

玉音放送の放送が流れた1945年の日本は、アメリカやイギリス、そして当時の中国などの連合国との太平洋戦争中で、戦争が長く続いていた。

当時の日本、大日本帝国は、開戦直後から、一時期この赤い線まで、勢力を広げました。

でもその後、太平洋の島々では相次ぐ戦死などが続き、その範囲はどんどん小さくなった。
その後、民間人にも被害が及んでいきます。

本土では100か所以上で空襲が行われ、20万人もの死者を出す被害となりました。
とくに3月10日の東京大空襲は10万人が亡くなった。

そして、その後の6月にかけての沖縄戦。
国内で唯一行われた島民巻き込んでの地上戦です。20万人が犠牲になりました。

この沖縄戦のあと、7月26日に連合国側が日本に突きつけたのが「ポツダム宣言」と呼ばれるもの。
要はこういう内容です。

「無条件で降伏せよ。さもなければ、日本に壊滅的な被害をこのあとさらに行える、その準備がもう整っているぞ」。
これに対して、日本の主導者たちは大慌て。会議を緊急に開いていきます。

そして、政府側、総理大臣や外務大臣などはこう主張しました。
「もう戦争やめましょうよ」。

一方の軍、海軍や陸軍などは、「無条件の降伏なんて絶対ありえない。反対である」と主張。「神風がまた日本には吹くはずである」というような意見もあった。
こうして、意見が真っ向から対立しました。
方針がまとまらない中で、8月のあの日を迎えます。

6日の広島、9日に長崎。立て続けに行われた、世界で初めての原子爆弾の攻撃。
この年の終わりまでに21万人が亡くなったと言われています。

こうして、戦争の日本人の犠牲者、結果的には310万人にものぼったとされています。

さらには、8月の8日には日本と中立条約を結んで戦争しないと約束していたソビエト連邦が、約束を破って参戦してきます。
日本はもう八方ふさがりの状態だった。この状況でも、軍は意見を変えませんでした。
そこで、困った政府が判断を仰ぐことにしたのが天皇陛下だったんです。

その天皇は、当時の憲法では、国の最高責任者とされていました。
ここで戦争をやめるべきか続けるべきか、意見がまとまらなかった政府は、どちらかを選んでいただけませんかとお願いしました。
これは、異例中の異例だったことだそうです。

そこで下された判断が、このポツダム宣言を、日本、受け入れますということだった。
では、この決断をどう国民に伝えるのかっていうことになった。日本の負けを認めたくない人がまだいるかもしれない。
そんな軍、また、国民が納得できるかたちにさせないといけないとなると。

当時、国民から「現人神」、神聖な存在としてあがめられていた天皇陛下しかできないだろう。

ということで天皇陛下みずからがラジオでポツダム宣言の受け入れを発表することになったわけなんです。
その70年前の放送で実際に録音に使われた音源の音声を、このあと皆さんに聞いていただきます。
70年前の夏のことを思い浮かべながら聞いていただきます。

玉音放送 前半

私は世界の情勢と日本の現状を深く考えた結果
緊急の方法でこの事態を収めたいと思い 忠良な国民に告げる
私は 「ポツダム宣言を受諾するとアメリカ イギリス 中華民国 ソ連の四カ国に伝えよ」と 政府に指示した
日本国民が平穏無事に暮らし 世界が共に栄えることは
歴代天皇に伝わる教えであり 私も常に大切に思ってきた
アメリカとイギリスに宣戦布告したのも
日本の自立と東アジアの安定を願うからであり
他国の主権や領土を侵すことは 私の本意ではない
だが戦争は4年も続き 陸海将兵が勇敢に戦い
多くの官僚が努力し 1億の国民が奉公し
みんなが最善を尽くしたが戦局はよくならず
世界情勢もまた日本にとって不利である
その上 敵は新たに残虐な爆弾を投下し
多くの罪なき人を殺し その被害は測り知れない
このまま戦争を続ければ 日本民族の滅亡を招くだけでなく
人類の文明まで破壊してしまうだろう
そうなれば 私はわが子のような国民たちをどう守り
歴代天皇の霊に謝罪すればよいのか
これが 共同宣言に応じるよう私が政府に命じた理由だ

小野 アナウンサー
はー、難しい言葉。

和田 さん
現代語訳がなければ全く分かんないです。

石神 さん
すごい、古文を聞いてる感じでした。

野田 さん
これって当時の国民は、聞いて内容完璧に理解できたんですかね?

小野 アナウンサー
実際にお聞きになった田原総一朗さん。その時何歳でいらしたんでしたっけ?

田原 さん
当時ね、僕は小学校の5年生だった。朝、市役所からね、「きょう正午に天皇の玉音放送がある。みんなラジオを聞くように」というので、僕も、家族みんなラジオの前に集まった。
ラジオのない人たちもいたんで、近所の人が5、6人集まって、それで聞きました。
全く違うのはね、ノイズがとっても多くて聞きにくかった。
でも、必死に聞きましてね、やっぱり、いくつかのところは分かりましたよ。
「それぞれ最善を尽くすにかかわらず、戦局必ずしも好転せず」。ああ、戦争うまくいってないんだなと分かったり、それから、「敵は残虐なる爆弾を使用し」。
これ、原爆のこと言ってるんですよね。ああ、原爆なんだなと。
でね、いちばん分かんなかったことは、これ、大事なところなんだけど、「しかももし交戦を継続せしむるか、終に我が民族の滅亡を招来するのみならず、延て人類の文明をも破却す」。
民族も文明をだめになっちゃうからやめるって言うんだけど、この文面は分かんなかった、何言ってんだか。
当時、軍の幹部は「本土決戦」と言ってた。米軍が本土に上陸してきて、最後の1兵となるまで戦う。
軍っていうのはね、国民を守るという意識が全くない。軍が最後の1兵、つまり、死ぬまで戦うという意識でいた。

小野 アナウンサー
でも、軍に入る人は、家族やふるさとを守るために入るんじゃないんですか。

野田 さん
そうだと思ってました。

和田 さん
なんのために戦うんですか?

田原 さん
ふるさとや家族を守るためじゃないんですよ。
それが証拠に、例えば戦後、サイパン島とか、あるいは硫黄島とか、沖縄とか、全部玉砕してるんですよね。
つまり、軍は戦える時は戦う。戦えなくなるまで戦う。
戦えなくなるっていうのは、みんなが死ぬっていうことですね、軍は。

山内 さん
軍がみんな死んじゃうっていうことですか? それまで戦う?

田原 さん
はい。それを玉砕と言ったから。

小野 アナウンサー
すみません、ちょっとそこがたぶんいちばんピンときてないところですよね。

古川 さん
なんでそういう話になってるかっていうのは、田原先生はよく分かっておられると思いますけど、戦前の日本の軍隊っていうのは、そもそも天皇のための軍隊っていう位置づけになってるんですね。
あと、戦前の日本は、国家がなければ人は生きられないっていう、人のための国家じゃなくて、国家がないと人が生きられないから、まず国家を守るのが前提で、そのためなら個人が犠牲になってもいいっていうようなのが、政治家の主な普通の考え方なんです。

山内 さん
めっちゃひどくないですか?

柳澤 解説委員
それが昔は、田原さんよくご存じだと思う。
学校の教育の中でそういうふうに教え込まれてきたんでしょ。

安田 さん
それは、一般の人たちの中でも当たり前の観念として考えていた。

田原 さん
うん。僕らは小学校の時に、男が将来行く道は2つしかない、選択は。陸軍に入るか、海軍に入るか。つまり、軍人になるしかない。

古市 さん
でもなんか、そういう話聞くと、戦時中と現代がまるで違うように思うんですけど、この玉音放送の文面見てても、全方面にすごい配慮してるじゃないですか。軍人も頑張った、国民も頑張った、官僚も頑張った。
でも、実際この終戦に至るまでは、官僚たちの、男の変なおじさんどうしのプライドのせめぎ合いとかで、終戦がここまで遅れたってこともあると思うんですね。
その姿って、実はいまの国立競技場をめぐる官僚とか政治家たちのゴタゴタとあんまり変わらないのかなって気もしちゃうんですよね。

田原 さん
いまのをもう少し言うと、国立競技場がなんであんなだらしないことになったか。責任体制がはっきりしてないのよ。
あれ、一応文部科学省が、こういう時は責任を持たなきゃいけない。全く責任を持ってない。同じように。

古川 さん
でもね、ちょっと違うところもあると思うんです。いまはそれでも、本当に全部やっちゃう前に歯止めがかかるわけですよね。
でも、当時は歯止めがかからないで、最後の天皇が何か言うまではどうにもならないで進んじゃってるってところは、やっぱり全然違う。

小野 アナウンサー
でも、誰か「まだ戦う!」って言ってる人たちに、「だって、もう兵器ないんじゃない?」とか、「もう誰もいないよ」とか、自分たちがいちばん負けている情報に接しているはずの軍人がどうして。

田原 さん
そこで、結局、負けるということは、戦争に負けるわけだよね、負けることを認めるということは、何を守るのかということになるわけ。
軍は認めないよ。軍は最後の1兵となるまで戦うんだから。政府が負けるということを認める。何を守るのか。そこね、国体を守るっていうわけね。国体って要するに天皇なんだよ。

古川 さん
一応広い意味では、「国体」とは一般的に国のかたちのことなんですけど、この時の日本だと、すべてを超越した絶対的な天皇がずっと代々支配してきた日本っていう意味もあって、ここで、どうしてもやめたくないって言ってる人たちの理由の1つは、それが断ち切られちゃうと自分たちの生きてきた意味がないって思ってしまうということがある。

柳澤 解説委員
それともう1つ、日本が近代になるところで、明治維新以降、日本はいくつか戦争をやっているんですよ。
日清戦争、日露戦争、第1次世界大戦。いずれも日本は負けていないんです。

古川 さん
本当はノモンハン事件で負けてるんだけど、隠蔽しちゃってるんですよね。

安田 さん
戦争っていうのが、思考の選択肢を狭めていくっていうことに大きな問題があると思うんですね。
それはいま起きている戦争でも変わっていなくて、例えばいま、中東方面でシリアっていう国が内戦しているのは知ってますか?
その隣の国にたくさんの難民の人たちが流れ込んできてるんですけれど、その人たちが、「自分たち、けがが治ったら、何度でも戦いに戻っていく」って言うんですね。
自分たちの心の支柱っていうのが、いまのアサド政権を倒すことでしかない。
もしも、隣国に彼らの本当の居場所があったら、武力以外の選択肢を見つけられたかもしれない。
だけど、彼らの、難民の人たちの言葉を借りて言えば、「自分たちはチェスの駒なんだ。チェスっていうのは駒ばっかりが傷ついていって、駒を動かす人たちっていうのは傷つかない」。
それがすごく象徴的な言葉だと思うんですけれど。

視聴者の声

「本当に聞けてよかった。「堪え難き」の前は初めて聞いた。」

「玉音放送を美化しないでほしい。2度とあってはならない放送であった。だからこそ、昭和天皇みずからが声を発せられたのだと思う。その重みは国民の命の重さそのものだったのだ。」

田原 さん
さっきね、軍は最後の1兵まで戦うと。つまり、玉砕をやると。それに対して政府は、国体を守ると言った。天皇の政断、天皇の判断を待つ。天皇が唯一国民の生命を守るべきだと。
天皇が玉音放送したのは、もうこれ以上国民が死んでいく、これは大変だ。国民の生命を守るということで、天皇は戦争を終えたんですよね。

柳澤 解説委員
だから、これは、結局は国民に向けてというふうになっているけれども、実はいちばんこの玉音放送で戦争をやめるようにというふうに言いたかったのは、ずっと戦うんだって言ってた軍部に対して、「とにかくやめるんだ」と。なかなか聞かない。

田原 さん
第一、軍部は、実はこんなものは聞かないと、クーデター計画をやろうとした。
それから、この玉音放送のレコードを盗もうとした。

古川 さん
ですけど、つまり、軍から見ると、天皇っていうのは誰にも頭を下げない、世界に冠たる天皇だからこそ自分たちはついてきて、それのために戦ってたっていうプライドできてるわけですね。
その天皇が頭下げちゃうってことになると、「現実の天皇は天皇じゃない」なんてことを言い出す人もいた。
だから、クーデターで、例えば、最初は監禁しちゃおうっていう計画もあって、それがうまくいかなくて、レコード盤を奪取しようとするんです。

柳澤 解説委員
8月14日か15日にかけて、実際に皇居の中でそういう動きがあった。
当時の日本放送協会っていうNHKの前身の建物の中でも軍が攻めてきて、それで、「その玉音盤を出せ。放送をやめろ」と詰め寄った。

安田 さん
でも、クーデターがもし起きていたら、もっとたくさんの被害者が出ていたかもしれない。

古川 さん
つまり、そこで終戦にはならなかったことになってしまう。

和田 さん
また未来が変わってたってことですかね。

古川 さん
そうです。本土決戦で本当にもう全滅までいっちゃったかもしれない。

安田 さん
そうしたら、自分たちはいなかったかもしれないっていうことになりますよね。

小野 アナウンサー
そんな中で放送された玉音放送、あと半分あります。聞きましょうか。

中山 アナウンサー
後半は国民へのメッセージが述べられています。

玉音放送 後半

私は東アジアの解放のため日本に協力した友好国に対し
遺憾の意を表せざるを得ない
戦死した者 それぞれの職場で殉職し
思いがけず命を落とした者
またその遺族のことを思うと 体が張り裂けるようだ
戦争で傷を負ったり 空襲などの被害で
家や仕事を失った者の生活も とても心配だ
これから日本はとてつもない苦難を受けるだろう
国を思う民の心中は よくわかっている
だが私は時の運に従い 耐え難いことに耐え 
忍び難いことを忍び 未来のために平和の道を開きたい
私は天皇を中心とした国のあり方を守り得て 
忠実な国民の心を信じながらいつも国民と共にいる
もし感情の赴くまま問題を起こしたり
仲間同士で排斥したり 問題を起こしたりして道を誤り世界の信用を失うことは
私が最も戒めたいことだ
国がひとつの家族のように団結し 神の国 日本の不滅を信じ
責任は重く 道は遠いことを心に留め
総力を将来の建設のために傾け
道義を大切にし 固くその考えを守り
日本という国の良い所を奮い立たせ
世界の動きから遅れないようにすべきである
国民たちよ これらが私の意志だと思い 実現してほしい

視聴者の声

「なんか、「学生の夏休みに戦争の話を聞いてこよう。宿題中」みたいな番組だな。」

「夏になると戦争の番組一色で、正直うんざり。」

田原 さん
特にここでね、「帝国の受くべき苦難はもとより尋常にあらず」。
それから、「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」なんてあって、いま僕覚えてます。
この文章で、近所の人たちの意見が2つに割れたの。
「堪え難きを堪え忍び難きを忍び」って言うから、戦争は続くんだと。それから、軍の幹部は本土決戦と言っている。
「太平を開かんと欲す」なんてその次に言ってるから、どうも戦争は終わるんじゃないかと思って、近所の人たちと論争になった。
しばらくしたら、午後になって市役所の人が、メガホンで「戦争は終わりました」と言ってきた。
だから、玉音放送では戦争が終わったかどうかよく分からなかった。

柳澤 解説委員
国民は分からなかった。つまり、国民は本当に戦争で何が起きているかっていう事実を知らされていなかったんです。
当時の日本放送協会はじめ、新聞とか、ラジオっていうのは、大本営っていう国が発表する内容を、いわばコピーしてそのまま伝えるだけで、本当に戦争で勝ってるのか負けてるのかっていうことを知らなかった。

古川 さん
放送に関して言うと、放送局の中ではもちろん本当のことを知ってる人もいたんだろう。
ただし、この戦争は負けてしまったら元も子もないと思ってて、放送でなんとか少しでも勝てるように協力しようっていうことで、当時のNHKの内部の雑誌を見ると、報道の道は、道じゃなくて導くほうだって言ってる人がいるわけですね。
本当のことを伝えちゃってみんなが元気なくなっちゃうよりは、なんとか元気を出すようなかたちの番組をやって。

柳澤 解説委員
でも、それはいまのNHKにとってみると、2度と繰り返してはいけないっていうのが戦後のNHKの出発点だったということです。

古市 さん
さっきのコメントにあった、「夏になると戦争の番組一色で正直うんざり」っておもしろいコメントですよね。
さっきの話聞いたら、戦争終わったのが100年ぐらい前かなって言ってた子がいたらしくて、でも、確かに戦争のことって、誰ももうあんまり実感ないと思うんですよね。

和田 さん
現実味はないですね。

山内 さん
私も、怖くてあんまり聞きたくない。なんかいろんなエグい映像とかがいっぱい流れちゃうから、それ見ると。

石神 さん
だから、田原さんのお話とか聞いて、本当にあったことなんだなってすごい身にしみて感じました。

田原 さん
もう1つ言うとね、おそらく本土決戦で、8月ごろ、九十九里に米軍が上陸すると。千葉県の。
僕は滋賀県だったんで、滋賀県まで来るのに2か月ぐらいかかるだろうと。
米軍が滋賀県まで来たらどうするか。女性は山へ逃げる。男は爆弾を持って戦車に飛び込む。自爆する。
これがわりに常識になっていた。

古川 さん
でも、全然イメージがないことをなんで思い出さなきゃいけないかっていうと、これ、われわれだけが被害じゃなくて、周りの地域、アジア地域のいろんな人に、実は被害、迷惑をかけてることなんです。
だから、勝手にこっちが忘れちゃってもよくないことなんです。

安田 さん
フィリピンなんかに行くと、日本の兵士たちによって被害を受けた人たちっていうのが、まだ生きているんですよね。私たちと同じ時代に。
だから、あの大戦が起きた責任っていうのは私たちの世代にはないかもしれないけれど、でも、同じ時代を生きている以上、あれを繰り返してはいけないっていうことを努力する責任っていうのは、私たちにもあるんじゃないかって思います。

柳澤 解説委員
人間って忘れやすい動物だから、繰り返し、繰り返し、このことを考えていかないと。

小野 アナウンサー
ぜひこれを機会に話を続けてください。

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