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『広岡勲の大リーグコラム(12)「ロビンソン・カノー」』

広岡 勲
2013年3月26日
著者の広岡勲さん(写真撮影:細島啓輔さん)
白昼のマンハッタン、久しぶりに松井秀喜と会った。
しばらくぶりに顔を見ると、普段気づかなかった変化が感じられる。
ましてやこの日は特別だった。
なにせ彼が父親になってから初めて顔を合わせたということもある。

「どう、パパになった感想は?」。
思わず新聞記者に戻った気分で聞いてみた。

「まだ実感はないけれど大変だよ。でも、オレより嫁さんの方がもっと大変だけれど」。

穏やかな語り口が野球選手時代とはまた違う成長を感じさせてくれる。
そういえばある哲学者が「人間の成長はステップで考えることが出来る」と話していたが、松井と会って、話をしているうちにある男の顔が浮かんできた。
ヤンキースの主軸、いや、今はWBCで大会記録の15安打を放ち、見事MVPに輝いた男と表現したほうがいいのかもしれない。
ロビンソン・カノーである。

彼との出会いは2005年の5月だった。
当時、彼は22歳。マイナーでの活躍が認められての昇格だった。
まだ、あどけなさが残る青年は人なつっこく、イタズラ好きでジョークばかりを飛ばしていた。
僕が受けた第一印象は「とにかくよく笑う」だった。
それほど英語は得意ではなかったが、松井が引き連れた大勢の報道陣によく話しかけ、いつの間にか多少の日本語を身につけていた。
今にして思えば、屈託のないあの笑顔に日本報道陣もどれだけ癒されたことだろうか。
彼の飛びっきりのスマイルは間違いなくチームを和ませてもいた。

打撃センスについては当時から頭角を現していた。
持って生まれた選球眼。
柔らかい筋肉。広角に打ち分けるシュアな打撃は爆発し、すぐにレギュラーポジションを獲得するまでに至った。
しかし、一方で、コーチ陣を悩ませたのが守備の凡ミスだった。
何気ないゴロを粗雑なプレーでファンブルしたり、悪送球を誘ったり。
デーゲームのあとなどは、よく一人だけグラウンドに引っ張り出され、「もっと丁寧に!」「もっと落ち着け!」とペーニャコーチから叱られて(指導されて)いたのを思い出す。
あまりの落ち込み方に僕が「気にするなよ」と声を掛けると、今度はまたあの笑顔でニヤリ。
何とも憎めない奴だった。

大リーガーの階段を着実に上る一方で、カノーは慈善事業にも力を入れ始めた。
意外に知られていない話なのだが、彼は母国ドミニカ共和国に救急車を送るプロジェクトを立ち上げている。
きっかけは彼の親友の死だった。
親友の乗っていたオートバイがジープに激突、しかし、救急車がなかったために応急処置も受けられず、そのまま息を引き取ったとのことだった。
カノーは大きなショックを受けた。
しばらく食事がのどを通らなかった。
彼の心の中には無念といらだちが交錯し始めた。

「もし、あのとき救急車がかけつけてくれていたら、親友は助かったかもしれない」
「救急車さえあったら・・」。

そして、その思いはいつしか、「オレがふるさとに救急車を運んでやる」に変わっていたのだった。
当時の彼のサラリーでは高価な救急車を購入することは出来ない。
だが、今は違う。
「親友を亡くしたつらい思いを他の人にはさせたくないんだ」。

打撃技術とともに、カノーは着実に真の大リーガーとして成長を遂げていた。
あれから8年。
ロビンソン・カノーは大リーグの看板選手になった。
WBCではドミニカ代表チームのまとめ役として後輩の面倒を見ていたとも聞く。
「しかし、カノーは本当に成長したよな」。
僕の問いに松井秀喜も深くうなずいていた。

著者プロフィール

【著者】広岡勲(ひろおか・いさお)
江戸川大学准教授、読売巨人軍球団代表付アドバイザー。
13年間の野球記者、10年間の松井秀喜の専属広報・大リーグ球団職員を経て、現職。
「野球」と「ベースボール」をこよなく愛する。